銀杏散るなり、夕日の丘に。時間を重ねることの価値

今日の書き手古越 幸太

 

なんだかあたたかい記事を見かけて、思い起こしました。

イチョウの大木 - くうきかっきる

午後から、母と出掛けた。地域ではちょっぴり有名な樹齢100年以上のイチョウの木を見に行った。長年風に吹かれ、上の方は風を受け流すように曲がっている。右下からは若...

 

いっしょに暮らすのを止めようと告げられ、家の解約も近づいて、これからどこに住もうかと。

 

なるべく都心の近く。

 

できれば、職場の最寄り駅まで45分かからずに。

 

けれどネットで調べても、見つかるのは予算オーバーな部屋ばかり。

 

駅まで徒歩15分、築30年以内、たったそれだけの条件。

 

なんだか身もこころもくったりと疲れてきて、夕方には会社を出て寄りみち。

 

乗換え駅から歩いて15分掛からないその場所には、樹齢600年を超える銀杏の木がありました。

 

厳かな神社と、大きな銀杏の木を目当てに訪れるひとも多いようで、パシャリとシャッターを切る音や、道ばたでスケッチを描くひとも。

 

夕暮れの銀杏に親しみをもつ気持ちが伝わって、こんな街に住めたなら、自分もまた同じような気持ちになれるのかなと。

 

心なしか足取り軽く家路に。

 

その街の物件を、家賃以外の検索条件をすべて外して見てみると、一つだけ不相応にきれいなアパートがみつかりました。

 

築45年。

 

あまりに古すぎて、誰にも見つけてもらえずに余っていた部屋でした。

 

あたらしい街に住み始めてしばらく。

 

営業と、現場のサービスマンが大半を占める部で、僕はひたすら地味で目立たないバックオフィスの仕事を一手に引き受けていました。

 

優れた現場の人間が多く、業績もそれなりに上がっていて、ただ誰も彼もがそれぞれのやり方で仕事を進めるために物事が属人的でした。

 

ゆえに、一定のラインを超えられない業績。

 

壁を打破するべく、現場が各々の仕事に注力できるよう、”それ以外”と彼らが思う仕事のすべてを望んで担いました。

 

意図した通り、やがて一連の業務がシステマチックに動くように。

 

しかしながら、いざ物事が回り出すと始めからそうであったかのように、現場の人間を増やしては同じことの繰り返し。

 

賞賛の声も対価も、彼らのものでした。

 

「必ず、価値のあることをしている」

 

そう信じようと思っても、人を通じて得られる評価だけにしか興味を持てない時期でした。

 

帰り道。

 

いつかと同じように落ち込んだ気持ちで神社を通りぬけ、ふと側にある銀杏の木を見上げました。

 

今でこそ樹齢600年を超え、観光名所にもなっている大木。

 

初めは小さな芽で、育っている間の本人に、名所になる気持ちはちっともなくて。

 

周りを通っても、ちょっと背の高い道草よろしく通りすぎていったでしょう。

 

けれど、いつの間にかその芽は大木へと変わり、風のうわさで遠くの街のひとまで訪れるようになりました。

 

自分には600年の風雨に耐えるなんてできないけれど、時間をかけて、まっすぐ積み重ねていくものにはきっと価値がある。

 

見上げた木の陰影は見事なものでした。

 

それから。

 

いまの僕も相変わらず、目立たない仕事が得意です。

 

ただ、積み重ねた価値を見つけてくれる人に巡り合え、きみといっしょに仕事をしたいと声を掛けてもらう経験を重ねることができました。

 

あの日いつか誰かの一日も、銀杏にとっては何も変わらない一日だったのでしょう。

 

Written by :古越 幸太

 

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ぼくだったら、そこは、うなずかない。

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