KIRINから消えたタグライン。

今日の書き手:佐藤 康生(ぼくら社取締役)

 

先日、TVで久しぶりにサッカーの

日本代表戦を見ていたときのこと。

ハーフタイムにメインスポンサーである

キリンのCMがたくさん流れてきました。

 

ジョージ・クルーニーが淡麗?

あはは、飲むわけないだろ!などと

突っ込みを入れながら見ていたわけですが、

何本か見終わったあと、

あれ?なにかちょっと変だなと

思い始め自分がいました

 

さらに何本か見ているうちに、

違和感の原因がわかりました。

 

キリンのロゴマークから、

タグラインが消えていたのです。

 

タグラインには、いろんな解釈がありますが、

日本ブランド戦略研究所というところによれば、

 

企業のロゴマークに隣接して

書かれている言葉のこと

その企業のコンセプトや理念、メッセージを

キャッチフレーズやスローガンとして

コンパクトに表現するのが一般的

 

とあります。

 

例えば、以下のような言葉が

タグラインと呼ばれるわけですが、

みなさん、いくつご存知でしょう。

どの企業のものかわかりますか?

 

「水と生きる」

「一瞬も 一生も 美しく」

「まちの“ほっ”とステーション」

「カラダにピース」

「手のひらに、明日をのせて」

Inspire the Next

Changes for the Better

I’lovinit

The Power of Dreams

 

で、キリンのロゴには

それまで「おいしさを笑顔に」

というタグラインが添えられていた

はずなのですが・・・・

 

なぜ消えたのか?

 

背景には、2つの場合があるように思います。

 

1つは、それまで使っていた

タグラインが事業や世の中と合わなくなり、

取り下げたものの、次のタグラインが

まだ決まっていないゆえに

消さざるを得なかった場合です。

 

この場合、コピーライターが

どこぞの部屋何百案という

タグラインを考えている姿が

容易に想像できます。

 

もう1つは、意志をもって消した。

という場合です。

 

ぼくはなんとなくですが、

後者のような気がする、というか、

後者であったらいいなと思っています。

 

ぼく自身これまで大・中・小、

さまざまな企業のタグライン開発に関わり、

いまも依頼される機会が結構多いのですが、

企業の思いを一滴に凝縮したタグラインが

ブランディングにおいて

大きな役割を果たしてきたことは

間違いないと思っています。

 

NIKEの「Just do it.

ロッテの「お口の恋人」などは、

最もわかりやすい例ですよね

 

でも、グローバル化M&Aなどによって

企業の事業が多国籍化、多角化し、

かつ生活者の趣味趣向が

これだけ多様に、かつ細分化してくると、

1つの企業や企業体を一言で表現することは、

とてもリスキーなようにも思えます。

 

(もちろん、これは広告費に

膨大な予算を使える企業の場合で、

社名も事業内容もまったく知られていない

中小企業の場合は、タグラインは

絶対あった方が良いと思っています)

 

そんな中で、もしキリンが、

 

「タグラインは、

もう企業が勝手に決めつけるものではなく、

生活者ひとりひとりの中に

生まれるべきものなんじゃないの?」

 

そんなふうに考え、

意志をもってタグラインを消したとしたら

その選択はどんな言葉より

強いかもしれないなぁと、

ハダカのキリンを見ながら思ったのでした。

 

ひるがえって、

自分がそのタグライン開発の依頼を受けたとしたら、

果たして「なにもなし」を提案できるだろうか。

 

うーむ、やっぱりできないだろうなぁ。

 

 

ちなみに、途中で紹介したタグラインの

企業名は以下の通りです。

 

「水と生きる」サントリー

「一瞬も 一生も 美しく」資生堂

「まちの“ほっ”とステーション」ローソン

「カラダにピース」カルピス

「手のひらに、明日をのせて」NTTドコモ

Inspire the Next日立製作所

Changes for the Better三菱電機

I’lovinitマクドナルド

The Power of DreamsHONDA

 

Written by :佐藤 康生

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