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先月起業した、僕の私的な理由。

古越 幸太の「ひきこも語り」

今日の書き手:古越 幸太(ぼくら社副社長)

 

「起業とはリスクの塊である」とはあちこちで聞いた言葉で、もちろん人並みに迷う気持ちがありました。

 

それでも決めたのにはいくつかの理由があるわけですが、中でもごく私的なものについて。

 

初めて働いた職場はマクドナルドでした。

 

高校一年生のとき。選んだ理由は家から近かったことと、応募のポスターやチラシをよく見かけたこと。一生懸命がんばりましたが3ヶ月も続きませんでした。クビになってしまったからです。

 

マクドナルドでクビになる人もそうはいないと思うのですが、僕は何をやっても人より遅くて、物覚えが悪く、ある日ポテトを揚げるショートニングを取り替えるときに一斗缶をまるまる床にこぼしてしまいました。

 

22時。油まみれになった床をみんなで深夜まで拭きとって、それからしばらくして「辞めてくれないか」と言われました。とても悲しかったですが、それはそうだろうなと思いました。

 

次は、喫茶店に入りました。

 

やっぱり家から近かったことと、まかないでお昼ごはんをもらえるのが魅力的でした。山小屋のロッジを模した風合いで、優しい人が多くいました。ここでも一生懸命がんばりましたが、席の番号が覚えられず半年経ってもお客さまの誘導がままなりませんでした。

 

ある日ショーウィンドウのケーキを入れ替えるときに、キッチンから渡されたケーキ一式をしまうのに慌ててしまい、膝から雪崩のように落としてしまいました。ぐしゃぐしゃになったケーキをゴミ箱に集め、真っ白な頭で一日の業務を終えました。翌日、店長に「明日から来なくていいよ」と言われ、あぁまたやってしまったと肩を落としました。

 

いい加減に体を動かす仕事は向いていないのだと気づきそうなものですが、今度は居酒屋のバイトを選びました。言うまでもありませんが、ジョッキやグラス、大小お皿、とんすいに至るまで盛大に割り散らかし、「もうお前来なくていいから」とトイレでオーナーに告げられクビになりました。

 

世の中、こんなに仕事ができない人がいるのだろうかと悩みました。何より、どこに言っても「お前は必要ない」と言われることが堪えました。

 

学校ではいつも一人で本を読んでいました。授業も行事も何か薄い膜をつたってエンドロールのように流れていくもので、大人になって生きていければどうでも良いさと外に出てみれば、時給800円を稼ぐことすらままならず。

 

当時の僕は、人がわいわいと働いている職場に勤めたかったのです。それが仕事というものにおいての最低要件だと思っていたからで、学校でそれを身につける努力は気恥ずかしくてできなかったのです。

 

あれから15年。拭いても尽きない油まみれの夜と同じ時間に、こうしてブログを書いています。

 

その後も仕事はおろか職場選びから不器用で、いろいろなオフィスを渡り歩きました。3年以上いられた場所はありませんし、この15年、派遣も含めれば属した組織は数知れず。迷惑をかけた人の数はなおのこと。

 

その間、ずっと考えていたことがあります。どうして自分はこんなにも、どの組織にも適応できないのだろうかということです。組織に属する以上、コミットしなければいけないものがあります。僕は、そのコミットに耐えることができませんでした。正確に言えばできないのではなく、過剰と表現するものなのかもしれません。

 

年を重ねることで多少は上手くなったこともあります。仕事選び、職場選び、人や物事との適切な距離の取り方、作業、感情のコントロール。

 

けれど、根本的に感じるストレスが軽くなるわけではありません。むしろ要求以上に周りの人の顔を見て、空気を感じ、必要なことをし、必要でないことをしない。全身全霊でその組織に貢献すべくコミットする。そんな自分がきらいでした。

 

「君が必要だ」という一言を得るために、あらゆるものを捧げなければ維持できなかったからです。そうして一度は得たものも、次に同じ言葉を掛けてもらうには、それを大きく超えなければいけない繰り返しの世界。

 

厄介なのは僕自身の能力が低いからこそ、全てを注いでやっと人並みそれ以上になれることで、僕が感じるストレスの原因は他でもない僕のせいなのです。

 

誰かがつくった世界に入るのではなく、自分の世界をつくりたいと思いました。もちろん誰かの組織に属しても、自分の世界をもって生きることは可能です。むしろ、その方が多数派でしょう。起業=自由だなんて微塵も思いません。

 

ですが、「人並み以下の能力だから、人並み以上の成果を出すんだ。雇ってくださる会社と上司に、最大の利益を還元するんだ」なんて、ブラック企業も真っ青なレベルで勝手に自分を追い込む日常でした。そうは映らないように過ごせるので、なお一層です。

 

いつ頃からか、そんな意識を組織の将来ではなく、自分の将来に向けたらどうなるのだろうかと考えることが多くなりました。日々の仕事で少しずつ、もし自分が社長だったら、もし僕が僕自身を雇うとしたら、そんな風に視点を変えて働いてみました。

 

自分にとって好きなこと、居心地のいいことを大切にしたいと思いました。すると不思議に新しく知り合う人や舞い込む仕事が、自分に合うものに変わっていきました。既成のジャケットを着ていたはずが、オーダーメイドのジャケットに変わっていくような奇妙な感覚です。

 

“何をやっても人並みにできない自分”という観念が、みんなそれぞれに違って当たり前なのだから、自分が好きなこと、なるべく苦がなくできることにフォーカスして生きれば良いのだと考えが変わっていきました。大人になるということなのかもしれませんが、スタートラインが後ろに過ぎるので適切な表現が浮かびません。

 

そうしてどれくらいのリスクをとって、どんなリターンを得るのか。人生はその選択の違いであることも分かるようになりました。のんびり働いて自由な時間を確保するも良し、がっつり働いて給料を得るも良し。自己資本のみで会社をやるも良し、出資や融資を集めてレバレッジを効かせるも良し。

 

もちろん、そんな単純には人生選べないし運ばないけど、大枠で向かう先を決めることはできます。だから僕は、お金や名誉に憧れはありません。それらを得るために捨てたものはおおよそ想像がつき、いまの僕にはきっと捨てられないものが含まれているからです。

 

思う以上に世の中は同調圧力に溢れていて、自分と相手の違いを確かめて別の道に進もうとすると障害が起きます。家族、同僚、友人、恋人、配偶者。「あなたにはこう歩んで欲しい」という、誰かの願望。

 

それでも僕は誰かのための人生ではなく、自分のために自分の人生を生きたいと思うようになりました。好きなことや好きな人、大切にしたいものを守りたいと思いました。そうして自分を「必要だ」と言ってくれる人に、ありったけを込めてお返ししたい。

 

結果、選んだ道が起業でした。

 

僕が読んできた本に出てくる企業家は、みな社会への貢献や大志があったように思います。本当にちっぽけな理由で恥ずかしいかぎりです。自分らしく生きたい、なんて学生でも思うことでしょう。側にいる人への貢献も同じでしょう。

 

でも僕は起業しようと決めて、ようやくそれを思えるようになったばかりなのです。自分でもびっくりするくらい、すぐ人の意見に左右されます。割に合わないカードを自分が引くことで周りが幸せになるなら、つい引いてしまう癖もなかなか直りません。対外的に社長と映るのは、名刺の肩書だけでしょう。

 

そんな暗中模索の日々で、人様に偉そうにものを言えた柄でもありませんが……そうですね、一人だけ伝えたい相手がいました。一斗缶の油もろくに注げず枕を濡らした高校生です。

 

きみの周りにいる誰もが、きみのことを「必要ない」と言っても大丈夫。きみが、きみ自身を必要とする日が必ず来る。そして、そんなきみと仕事をしたいと言う人も現れる。

 

きっと大丈夫。どうか、きみらしく生きて欲しい。今はなにひとつ、自信を持つことが叶わなくても。

 

Written by :古越 幸太 (記事一覧

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