資本主義の違和感と、時代の変わり目たるニート
えんがわさんのブログを読んで思いました。
現在のムダな不幸を思えば、マルクスは正しかったのかもしれない - 寿司はえんがわ。~Engawa R0tMG ブログ~ 別館モノの価格って、需要と供給とのバランスによって決まっていくと言われてますね。個人個人はただ自己の利益を追求するのだけれども、そんななかでいわゆる「神の見えざる手...
そうなんですよね。
この社会は何かがおかしい。
そしてそのことは、経済の専門家や政治の専門家ではなく、普通に生きている人たちが覚える違和感なのです。
学術的にも、法律的にも、常識的にも、間違ってはいない。
でもどうしても拭いきれない違和感がある。
そう感じる人が年々増えていって、ニートと呼ばれる人たちもどんどん増えていって、いつか資本主義が終わる(あるいは根本から変わる)のでしょう。
考えてみれば、おかしな話なのです。
人間が楽をするために、テクノロジーが進化する。
進化したテクノロジーによって、生産性が飛躍的に高まり、ちょっとしか働かなくてもみんなが豊かに暮らせるようになる。
その方向に世の中は進化し続けているはずなのです。
なのに現実は、テクノロジーの進化によって競争が激しくなり、価格が安くなり、仕事がなくなってしまう。
なぜこのようなことになってしまったのか。
資本主義が悪いのか?拝金主義が悪いのか?
問題は企業という組織体にあるのではないでしょうか。
人が集まって機能的に動けるように、会社という組織は作られてきたわけです。
あくまでも人間がより豊かになるために。
ところが一旦会社というものが出来てしまうと、会社の利益と人間の利益が相反するようになるのです。
出来るだけ人件費を払わなければ、会社にたくさん利益が残る。
たくさん給料を払うと、会社の利益が減ってしまう。
今や会社は、社員のためではなく、会社のために利益を上げようとしているのです。
会社のため。
すなわち会社オーナーのため。
株主という働かない人たちの資産を増やすことが、従業員たちが働く目的になっている。
これに違和感を感じずに来たことが不思議で仕方ないです。
世の中が全部株主だらけになったら、いったい誰がものをつくるのでしょう。
だれがサービスを提供するのでしょう。
ものをつくる人よりも、サービスを提供する人よりも、最初にお金を出した人が最大の利益を享受できる。
このような仕組みが永続するわけがないのです。
Written by :安田 佳生