死ぬ前に一日だけ起き上がったじいちゃんの話

今日の書き手下出 裕典

 

じいちゃんは、いわゆる創業社長でした。

 

ものすごいエネルギッシュな人で、亡くなる1、2年前までステーキ2枚とか食べてたぐらいです。

 

戦後すぐに自分で会社を立ち上げて、その会社は今もぼくの親戚が引き継いでいます。

 

そのじいちゃんが、10年ぐらい前にガンになった。

 

「わしは死に病にかかった。ジタバタせん」と言って一切の治療を拒否し、衰弱していく日々。

 

とうとう意識不明の状態になって数日がたち、誰もがもうだめだと思っていたら、ひょいっと起き上がったのです。

 

そして言いました。

 

「ムラタを呼べ」

 

ムラタというのは、地元の大きな葬儀社で、じいちゃんはそこの経営者さんと友だちのようでした。

 

急いで駆けつけてくれたムラタさんに、なにやら手描きで指示を出すじいちゃん。

 

「ここがわしの眠る布団。5年前に回った四国八十八ヶ所の掛け軸をここに。焼香客はここに座ってもらって・・・」

 

と、自分の葬式のプロデュースを始めたのです。

 

もちろん指も声も震えているので、描いている図も見づらいものでしたが、意識はとてもしっかりしていました。

 

指示を終えるとまた眠り始め、翌日には息を引き取ったのです。

 

その図は僕が願い出て、ゆずってもらいました、たぶんまだ実家に置いてあると思います。

 

すごいじいちゃんでした。

 

ただ、ぼくはじいちゃんのことを大好きだし尊敬しているし、孫の立場を利用して言いたいことを言っていましたが、客観的に見ればあまりいいお年寄りではなかったかもしれません。

 

近づきがたいところもあったと思います。

 

「裕典、経営者は時間が命なんだぞ」と、もっともらしいことを言いながらレジの行列に割り込みしていましたし、クルマの運転は怖くて横に乗っていられないほどでした。

 

じいちゃんはたまたま、頭より先に体がガン細胞にやられてしまったけれど、脳から先に弱っていたら、そうとう厄介なパターンに陥っていたかも、と思います。

 

そんなことを、お父さまの介護経験をつづられたブログ記事を見ながら思いました。

「偉い男」ほど厄介なことになる - Ohnoblog 2   

 

ぼくら社の役員同士ではよくこんな話がでるのですが、年の取り方って2パターンあるよね、と。

 

年を重ねるほど柔和になっていく人と、どんどんガンコになっていく人。

 

違いはきっと、「答えはひとつじゃない」ことを実感しているかどうかだと思うんです。

 

年をとればみんな、生き方に対する自分なりの答えを持つ。

 

それをオンリーのものだと思うのか、ワンオブゼムだと思うのか。その違いではないでしょうか。

 

先ほどのブログでいうところの「偉い人」ほど、自分の答えをオンリーなものだと考えがちなのかもしれません。

 

僕は自分の仕事に対して、自分なりのこだわりを持って取り組んでいるつもりですが、「こだわり」という言葉の持つ危険性も同時に意識するようにしています。

 

こだわりというのは、一歩間違えると拘泥になり、執着になる。

 

正直言って認知症の専門的なところはまったく分からないのですが、「自分と違う価値観を否定しない」、これだけは意識して生きていきたいと思っています。

 

これは一つの答えだけど、唯一の正解というわけじゃない。

 

そう、自分に言い聞かせています。

 

許せないものが増えていく人生より、許せるものが増えていく人生の方が、ステキですもんね。

 

Written by :下出 裕典

 

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ぼくだったら、そこは、うなずかない。

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