M氏のこと。
「このようなことを申しては大変失礼かと思いますが、だめだろうと思います」
それがM氏の答えだった。
言葉遣いこそ丁寧であったが、口調は確信に満ちていた。
私たちの目の前には、ぼくら社の1冊目となるはずの『疑問論』が、出来上がったばかりのデザインにくるまれてあった。
M氏はおそらく最初に目にしたときからそう思っていたのだろう。
2013年初夏、ぼくら社を立ち上げて半年。
素人集団による本づくりではあったが、どうにかこうにか形が見え、発売に向けて気持ちも盛り上がってきていた。
ここはひとつ、業界の人の客観的な意見を聞いてみようと、発売元のプレジデント社が呼んでくれたのがM氏だった。
M氏は、仕掛けた本は最低でも重版はさせるというベストセラー請負人。
『海賊と呼ばれた男』のプロモーションにも関わったという人物である。
私たちはM氏にぼくら社の設立経緯ややりたいことを説明し、最後に『疑問論』についての意見を尋ねた。
ほんとは設立経緯ややりたいことなどどうでもよくて、それを聞きたかったのだ。
「ところで、この本は売れますかね」
返ってきたのが、冒頭の一言である。
M氏の一言は盛り上がった気持ちに水を差し、私たちは少なからず動揺した。
私たちは、尋ねた。
「なぜ、そう思うのですか」
「タイトル、表紙…。ご説明するのはなかなか難しいのですが、この本からは売れる匂いがしてきません」
本が売れる匂いだって。そんなものがあるのか。
くんくん。
編集長の安田の鼻は、そのとき確かに動いていた。
M氏が帰ったあと、会議室には重苦しい空気が流れた。
私たちは、その空気を根拠の薄い楽観論で吹き飛ばした。
テーブルの上空には希望的観測機が打ち上がっていたことだろう。
「なーに、M氏はああ言っているけど、本は出してみないとわからないと言うじゃないか。それに、安田は最低でも5万部を売ってきた実績がある。大丈夫、きっと大丈夫さ」
結局のところ、私たちはM氏のアドバイスを無視し、タイトルも表紙のデザインもほぼそのままで出版した。
結果は、M氏の言った通りになりつつある。
(なった、とはまだ言いたくないんだ)
あのとき、M氏のアドバイスに素直に従っていたらどうだっただろう。
M氏に編集やプロモーションを依頼する道を選ぶこともできた。
そうしたら、『疑問論』は『千円札を拾うな』を超えることができただろうか。
一方で、こうも思う。
『疑問論』は、『疑問論』で良かったのだと。
M氏の力を借り、M氏の成功ノウハウに従って本をつくる。
しかし、それはM氏の本であり、私たちの本ではない。
私たちの本でないものをつくり、たとえ売れたとしても、きっと心の底からは喜べなかったと思うのだ。
ぼくら社は、安田の夢を発端に生まれた出版社である。
だから、少なくとも本づくりに関しては、安田の思ったようにやればいいのだと思っている。
オーナーもそこは納得しているはずだ(たぶん)。
それで世の中に受け入れられなければ消えるだけのことだ。
ぼくら社が消えても、株価は下がらないし、東京オリンピックが中止になることもないだろう。
そういう意味で、『疑問論』は、私たちが進むべき道を教えてくれた本なのだと思うし、はっきりと意見を言ってくれたM氏にはとても感謝している。
遠い昔につき合った女性が、僕に言った言葉がある。
「私、反省はするけど、後悔はしないの」
大切なのは、きっとこういうことだ。
ぼくら社のオフィスは、東京・麻布十番のビルの5階にある。
エレベーターを降りるとロッカーがあり、20冊ほどの『疑問論』の見本誌が並んでいる。
ピンクの背表紙がずらりと目に飛び込んでくる。
その姿を見るたびに、あの日、M氏から投げかけられた厳しい言葉と、それとは裏腹の愛おしい気持ちが胸の奥から夏の雲のように湧き上がってくる。
Written by :佐藤 康生
ぼくら社2013年12月の新刊発売中!