「全てを失う」といわれた自己破産から3年

今日の書き手:安田 佳生(ぼくら社編集長)

 

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中小零細企業の話。抵当に入れるものが無くたって、銀行は金を貸してくれる。社長の個人保証って奴だ。この個人保証が経営者を悩ませ、不安にさせ、うつ病にもなるだろうし、最悪自殺もする。

 

個人保証。

自己破産。

 

思い出しますね。あれは3年前。

私も自己破産を経験しました。

個人保証していた金額は30億円。

手元に残った現金は数十万円。

ただ私の場合、取られたものはありませんでした。

 

なぜ取られなかったのか。

それは、何も持っていなかったからです。

住んでいた家は借家でした。

車は所有していませんでしたし、

土地も金融資産も持っていませんでした。

私は資産を持つことには興味がなかったですし、

持っていた現金は全て会社につぎ込んだ後でした。

私が持っていたのは自分の会社の株だけ。

その株も民事再生によって紙屑同然になっていたのです。

 

つまり私は限りなくゼロの状態だったのです。

自己破産によって「全てを失う」なんて言いますが、

実際に私が失ったのは社長という立場だけでした。

社長でなくなって、その代わりに借金もなくなりました。

正直ちょっと驚きました。

だって何十億円という借金が突然ゼロになったわけですからね。

 

たとえ千円でも盗んだら犯罪です。

でも30億円返せなくても犯罪にはならないのです。

社会というのは凄いルールで出来ているなと思いました。

資本主義社会においてはゼロリセットすることが許されているのです。

合法的な借金の踏み倒し。

それが自己破産です。

社会的な信用がなくなるという人もいますが、

実際になくすのは金融機関の信用です。

もう銀行は私にはお金を貸してはくれないでしょう。

でもそれだけのことです。

銀行がお金を貸してくれなくても仕事はできます。

会社をつくることも、社長になることも出来ます。

 

自己破産する前→自己破産の瞬間→自己破産した後

この中で一番大変なのはどの時期か。

 

自己破産の瞬間。これは本当に一瞬です。

裁判所に出頭して判決を待つのですが、

その裁判は何と集団で行われるのです。

私の時には30〜40人の自己破産申請者がいました。

ギャンブルで借金を作った人。

風俗通いで借金を作った人。

ブランド品を買いあさって借金を作った人。

いろんな人がいました。

その中で私の借金額はダントツです。

なにしろ30億円ですからね。

でもあっけないくらい簡単に裁判は終わりました。

会社の個人保証による借金。

それはかなり同情の余地のある借金だと見なされるようです。

5分もかからずに私の裁判は終わりました。

 

自己破産後はどうか。

驚くほど何も変わりませんでした。

社長ではなくなりましたが借金からは解放されました。

ここからは何をやっても自由。

どれだけお金を稼いでも自由。

同情してくれる友達や、励ましてくれる友達はたくさんいました。

でも離れていく人はほとんどいなかったです。

きっと私は人に恵まれていたのでしょう。

 

実は一番苦しいのは自己破産する前なのです。

自己破産したらいったいどうなるのか・・・・

何もかもなくしてしまう・・・

もう二度と日の目を見る事はないかもしれない・・・

などと妄想して悩んでいるとき。

この時が一番苦しいのです。

自分の想像力が自分自身を苦しめているのです。

 

誤解しないでいただきたいのですが、

私は別に自己破産を勧めている訳ではありません。

借りた金は返す。

もちろんそれが一番いいのです。

ただ、必要以上に自分を苦しめてはいけない。

そのことを知ってもらいたいだけです。

社長というのは最後の最後で、

必要以上に頑張り過ぎてしまうものなのです。

 

Written by :安田 佳生 

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自己破産後に気づいたこと、まとめました。

著者である安田佳生が社長でなくなり、自己破産を経験し、全てを失くした中で考えたこと。社長でなくなった人だけが言える会社の不思議、自己破産経験者だけが言える社会の不思議。立ち止まらざるを得なかった著者が、立ち止まれない現代人に贈る、気づきの数々。

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