それでもぼくらは本をつくる

今日の書き手佐藤 康生

 

今年1月、出版社を立ち上げた。

 

編集長の安田をはじめ素人ばかりの集団である。

 

そんな私たちのことを面白がり、応援してくれたのが発売元であるプレジデント社のFさんだった。 

 

10月、なんとか1冊目を世に送り出し、Fさんへの感謝を込めてささやかな宴を催した。

 

酒が入り、自然と本の話になった。

 

私は前から知りたいと思っていたことを、Fさんに聞いてみることにした。

 

「これまでたくさん本を出版してきていますが、ほんとに世に送り出したい、みんなに読んで欲しいと思ってつくった本はどれくらいあるんですか?」

 

しばらくの沈黙ののち、Fさんは答えた。

 

「そうだなぁ。1,2冊というところかな」

  

(たった)そう言いかけたが、なぜだか言ってはいけないような気がした。

 

『本を読む意味が減少してきた』というブログを読んで、そのときのFさんの答えと、

なんとも言えない微妙な表情を思い出した。

本を読む意味が減少してきた - 本流パーソナルブログ

昨日記したように私はあまり本を読まなくなっている。いずれは読むことは「オーブィオブック」に代わるかなとも思っている。その理由は字が読みにくくなってきたというわけ...

 

いま、出版業界は修羅の時代にあるように思う。

 

日々大量に生産される書籍、1冊1冊の賞味期限はますます短くなり、刺激的になる一方のタイトルと帯のコピー。

 

リスクを避けた特定著者への偏りと内容のアメリカンコーヒー化。

 

私たちとて例外ではなく、すでにその渦の中に巻き込まれ、翻弄されている。

 

しかし、読者とて愚かではない。

 

このようなやり方はやがては飽きられ、限界がくるだろう。

 

では、その限界を突き破るものは一体なんだろう。

 

正直なところ、私にはわからない。

 

わからないけれど、突き破る何かはきっともがき続ける先にしかないのだろうということはわかる。

 

曖昧とした言い方になってしまうけれど、そのもがき続ける姿の中に、読者たちは新しい「本を読む意味」を感じとってくれるように思うのだ。

 

Written by :佐藤 康生

 

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ぼくだったら、そこは、うなずかない。

ぼくだったら、そこは、うなずかない。