無条件の愛と支配
今日の書き手:川崎 貴子
「愛にまつわるよしなしごと」というブログを読みました。
「愛」にまつわるよしなしごと - モビゾウ研究室
息子インフルエンザ罹患で一週間の停滞期を過ごしたため、ブログの更新が久しぶりとなりました。いやもう、あかんです。あれやこれや策を弄して、息子にいろい...
「母親へ抵抗しているのに、(愛しているからだ。)と反論され、愛という正論に屈服するくやしさで涙が出るのと同時に、子供のころから欲していた(愛)という言葉をちらつかされて、実はどこかで嬉しかったのだ。」というくだりには、思わず涙が出ました。母親の無条件の愛を乞う小さな女の子が、ブログの向こうに見えるようでした。
また、虐待して捕まった親達がこぞって言う台詞、
「躾の為にやった。」
「本当は愛情があった。」
毎回ニュースを見るたびに、私も同じような憤怒に駆られるので大変に共感して読ませていただきました。
でも同時に、親としては不安を覚えます。
私は、子供を支配していないだろうか、と。
虐待には色々な種類があって、暴力を与える、育児放棄するような解りやすいものだけじゃなく、夫婦喧嘩を見せてしまう、過干渉や過保護、AC(アダルトチルドレン)に育ててしまう原因の全てがそれに当てはまり、結果、健全な人間関係を築けない大人を育ててしまいます。
そこにあるのは、「愛と支配」
親は子供を躾ける時に愛を持って臨みますが、愛が100%かと言えばそうではありません。
「親のいう事なんだから、聞きなさい。」
「何回言わせるの!言う事きかないなら出ていきなさい!」
と、半ばキレ気味に強制したり、交換条件を与えたり。これはある種、支配でもある訳です。
私など、人様の会社で「コーチング」や「コミュニケーション」を講義させていただき、自発的に考える社員の育成を吹聴しているというのに、娘の暴言に真っ向から対決。
「こらー!今なんて言った!言い直しなさい!」
その時、
「これを今ちゃんと教えないとこの子は大変なことになる。」という親の愛情と、
「親の意見には従うものだ。」という支配欲が、
私の中で微妙に入り混じるのを感じます。
そして、支配欲の割合を多く感じる時というのは、私が忙しかったり、仕事や夫婦関係、その他の人間関係が上手く行ってなかったりする時であり、
「今、あなたはどうしてそんなことを言ったの?ママに教えて?」
というプロセスを踏む時間と心の余裕が無い時に発動されている時が多く、要は、私という親の、完全なる自己都合なのです。
私は、子供の頃、母親の無条件の愛情を信じて疑わず育ちました。
ところが、小学校に上がり、私に手がかからなくなると、母が新興宗教にのめり込むようになります。
それも、1年ぐらいで転々と宗教を変えるという「迷走信者」です。
その都度、私と妹も入信させられました。
母の入れ込みようは大変なもので、子供から見ても狂信的でした。
私は仕方なく付き合っていましたが、その神様も宗教も、どれも全く信じておらず、
信じるどころか憎んでいました。
「うちの母をだましている団体」
子供ですから母親を憎めないので、その団体に対して憎悪を抱いてバランスを取るのです。
そして、3年が経ち、3つ目の宗教団体に入信させられそうになった時、私は母親を拒絶しました。
「お母さんは何を信じても構わないけど、私は宗教を信じないし、神様を持たないで行くから、あきらめて。」
小4ですから、考えて考えて、「お母さんに嫌われたらどうしよう。」という恐怖心もあり、悩んだ末の答えでした。
すると、母親は泣きました。
「お姉ちゃんの幸せの為にやっているのに!」
と、怒りながら泣くのでした。
私は、この時初めて、母に「支配」されようとしていると実感します。
母の入信のきっかけは「愛情」だったかもしれないけれど、この人が今やっていることは、確実に私に取って、「愛」ではなく、「支配」であると感じたのです。
そして、母親と私は違う道を歩んでいく人間であり、これからは自分の意志で、自分の考えで行動して行けるよう、早く独立した大人になろうと心に決めたのでした。
それから、私は必要以上に猜疑心の強い、無条件の愛など信じない若者に育つわけですが、優しい妹にフォローされたり、お付き合いした人に愛情をもらったり、良い友達に恵まれたり、子供を産んだり、その中で、再び母の無条件の愛情と再会したりして、現在に至っています。
今思えば、母のあの迷走の時期は、母の心の穴がぽっかり開いていた時期だったのだろうなぁ、と思うのです。結婚20年目の自分に無関心な夫、急に手がかからなくなった子供達、面白くない家事(嫌いでした。)、
未だ40代で、エネルギーを持て余していたのだろうな、と今ではそう思います。
「愛と支配」は表裏一体だと、何かの本で読んだことがあります。男女関係や夫婦関係が分かりやすいと思いますが、愛するという能動的な行為の中に支配をしたいという欲求が、愛されたいという思いにもまた、支配をされたいという欲求が混じるそうです。その割合が問題であって、愛が8割支配が2割がベストの人に対して、愛が2割で支配が8割だと問題が生じ、相手にNOと言われてしまうのだと。
ただ、これが、親から子への場合、子供は「愛」なのか「支配」なのか、先ず区別がつきづらい訳です。大好きな親からされることですから。
また、例え「嫌だ」と感じても発言ができない、もしくは、発言しても「子供=未熟な存在」として親は思っているので、受け止めてもらえない可能性が高いのです。
だからこそ、親は子に対して支配者になりやすい。
「無条件の愛」だけをプログラミングされていたらこんなことにはならないのに、人間とはなんて、複雑怪奇に作られているのでしょうか?
出来る限り「愛の比率」を高めるようにするには、先ずは人間に支配欲があるという事、
そこから目を逸らさないことも重要だと思います。
そして、「支配者」になってしまう方が、常に俯瞰的な目を持ち、情緒を保ち、時間の余裕を確保し、相手をよく観察して、
愛情をアウトプットする必要があると今回思った次第です。
親子関係も、夫婦関係も、恋愛関係も、すべての人間関係は修行ですね、愛の。
Written by :川崎 貴子
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人の「感性」と「行動」を軸にした独自のビジネスマネジメント理論を研究・開発し、全国から千数百社を超える企業が参加する「ワクワク系マーケティング実践会」主宰、小阪裕司。
35冊を超える著書ではじめて語る「変わり者と疎まれ、本当の自分を出せずにいる」、そんな生きづらさを抱えている人に向けたメッセージ。
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