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「わたしには長所がない」と語るあなたへ

今日の書き手古越 幸太

 

僕は、仮初めの自信を振りまくひとよりも、コンプレックスとたたかうひとに魅力を感じます。

 

とても考えせられるブログを拝見しました。

力への意志 - mizchi's blog

(この記事は闇 Advent Calendar 2013 - Adventarの8日目です。)コンプレックスの話をする。僕がプログラミングを始めたのは、2008...

 

エンジニアを生業とされていて、きっと腕が立つ才能豊かな方なのでしょう。

 

記事の中で、こんなフレーズが書かれていました。

自分はもともと文章を書くことに抵抗がなくて、人に受ける文章みたいなものは、ネットウォッチの結果、ある程度パターン化しきってると思ってる。自分に何かの才能があるとしたら、その方だ。あると便利だが、それは僕が欲しかったものではない。

 

このことばに、得手不得手と理想のままならない関係を思わずにはいられません。

 

そこには、豊かな葛藤があるからです。

 

器用貧乏な僕は、勤めてきた職場でよくこんなことを言われました。

 

「いいですよね、なんでもできる人は」

 

とんでもない。たとえば、いま僕が働いている会社は、僕以外全員が自身の会社を経営している社長です。

 

社長が5人、それ以外が1人。

 

そんな環境で働いていると、自分が社長でないことを少なからずコンプレックスに感じます。

 

一般的にコンプレックスというものは負の感情としてとらえられています。

 

この単語を一般的なことばにしたのは、分析心理学でおなじみのユングといわれています。

 

彼の定義によれば、ある事柄と、本来無関係な感情とが結合された状態をさすそうです。

 

コンプレックスというと、劣等感と同義に聞こえますが必ずしもそうとはいえません。

 

例えば、マザーコンプレックスということばがあります。

 

これは母親に劣等感を感じているわけではなく、心理的にあるいは行動的に母親を頼りにしている状態をさします。

 

コンプレックスという単語は組み合う事象においては、別の様相を成すようですね。

 

「わたしには何も長所がない」と話すひとがいます。

 

そもそも長所のない人間など存在しないとも言えるでしょうが、自分が自身をどう捉えるかにおいて、そのことばは役に立ちそうにありません。

 

僕は誰とコンビを組んで働くことも、どんな仕事をすることも、とりわけ苦にしません。

 

自然と「オレと組んでくれないか」という声が集まり、あちらこちらでサポートをします。

 

そうして、日々コンプレックスを抱きます。

 

これは自分が心から望んでやりたいとやっていることなのだろうか、と。

 

自分にきわだった長所があれば、本当は誰よりも表に立って、これが僕の考えた最高のサービスなんだと発表したい。

 

ここに得手不得手と理想のギャップが生じます。

 

誰とでも組めて、どんな仕事も”それなり”にできるということは、周りから見ればちょっと特殊な長所です。

 

人間、誰でも嫌いなひとはいますし、できればやりたくない仕事もたくさんあります。

 

ですが、もしトップに立って仕事をしたいのなら、常に周りの様子を伺い、誰かの意見に合わせるという能力は短所とも言えます。

 

記事にあったことばを引用します。 

僕はといえば、どうだ。ブログで煽り記事を書いてビューをとってセルフブランディングしたりして、実態以上に自分を大きくみせることに労力をかけ過ぎてはいないだろうか?

 

エンジニアはコンピュータを言語で操る技をもって、世を生き抜く職業です。

 

その第一線で活躍しているだけでも優れているのに、ことばで想いを伝えページビューを集めることにも成功しています。

 

この能力は思いのほか望んでも得がたいもので、使いかたによっては優れたコミュニティを生み出す原動力となるでしょう。

 

けれど、目指されている場所からすれば、特筆して語るべくもない能力なのかもしれません。

 

人間とはどうにもめんどうなもので、自分が短所と捉えていたり、あるいは大したことはないと考えているものが、実は得難い長所だったりするのです。

 

問題はそれに気づけるか。そして、その長所を自分で認めてあげることができるかどうか。

 

僕はここ数年、仕事の大半を社長と呼ばれるひとのとなりで行ってきました。

 

経営企画、COO、副社長と会社をわたっては呼び名も変わっていますが、ひとつ分かってきたことがあります。

 

トップに立っているひとは一見カリスマのように見えて、その実大きなコンプレックスを抱えていることです。

 

そのコンプレックス自体を原動力として、社会にボールを投げかけています。

 

そして、自分の短所と長所をよく理解しています。

 

「オレはこれが苦手だから」とはっきり言いますし、自分の長所がもっとも活かせる土俵でたたかいます。

 

もちろん社長になりたい、稼ぎたいという想いはあったでしょうが、やりたくないこと(短所)、やりたいこと(長所)を突き詰めて考えた結果、目指すべきステージが社長だったのでしょう。

 

わたしには長所がない。

 

そう考え、コンプレックスに悩むひとがいるならば。

 

そこにこそあなたにしかない、あなたたり得る長所があるはずです。

 

存在する長所に目を向けられない真摯なひとだからこそ、抱えて歩いている悩みでもあるのでしょう。

 

ぼんやりとした闇にスポットライトを当ててみると、そこにはオリジナリティの源泉があります。

 

その行為は、影に目を向けずに生きるひとには掴み得ない自信となり、唯一無二の魅力へと変わります。

 

スポットライトの向きを変え、自分だけのステージライトへ。

 

僕はそんな過程に、ひとの営みそのものの魅力を感じます。

 

Written by :古越 幸太

 

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ぼくだったら、そこは、うなずかない。

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