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それは、優しさなのか弱さなのか

古越 幸太の「ひきこも語り」

今日の書き手:古越 幸太(ぼくら社副社長)

 

ある夜、近所の中華料理屋に入りました。

 

頑固な主人と、朗らかな笑顔の奥さんに、幾人のアルバイトの方が営む小さなお店です。

 

となりのテーブルで食事をしていたカップルが会計を済ませ奥さんが食器を下げに来た時、ソファの影に置き忘れられていたパスケースを見つけました。(ずいぶんと奥まったすき間に挟まっていて僕も分かりませんでした)

 

気付くや否や、つっかけのまま走りだし雨の道路へと飛び出していきました。5分ほど経ったでしょうか。ドアの開く音、結局見つけられなかったと、肩で息を切らしながらご主人に告げる奥さんがいました。

 

「そんな忘れもんなんか奥に入れときゃいいんだよ!ぼさっと席外してからに」とご主人。

 

「だって、そう言ってあなたがカゴごとどこかにやってしまって、忘れ物を取りに来られた人に返せないことがあるから……」と奥さん。

 

「うるせえ、早く洗い物片付けろ!」と再びご主人。

 

傍目に奥さんは今忘れ物をした男性、あるいは向かいにいた彼女、忘れ物を失くしてしまうご主人、それぞれの人の姿を思い浮かべてきっと最良の選択肢を選んだわけですがご主人にはまったく伝わっていません。

 

彼の頭にはただ一つ、この忙しい最中になんで忘れ物なんかで店を空けるんだ。

 

さらに厄介なのは常連客が、注文はまだかまだかと今にも舌打ちしそうな表情をして待っていること。奥さんの味方はどこにもいません。こんなシーンを見るにつけ思います。

 

優しいことは、損なのだろうか。

 

優しい人が優しい所以は、目の前に二つの選択肢があった時に自分よりも他人を優先すること。余程のことでない限り、それは違うのではないか?と思っても言わずに場を収めます。

 

その瞬間、きっともやもやとしたものを自分の中に抱えるのでしょうが、その感情こそ相手が感じるべきものではないと笑顔に換えます。そうして同じように自分が困った時は、誰にも助けを求めないでしょう。迷惑を掛けてはいけないと考えるからです。

 

件のお店に奥さんをフォローする人がいないように、優しい人をフォローする人も現れません。優しい人だからというレッテルを貼られているからです。

 

そうして優しい人はいい人と呼ばれ、善良さから優しさを消費します。いい人とは周囲にとって頼りたい人であり、それは与えたい人には変わりません。

 

人は往々に優しい関係を望みます。一方で、優しい関係を維持するには適切な距離感が必要です。ご主人が自分のことでいっぱいになってしまうのであれば、そんな彼と適切な距離を保つ優しさとはいかなるものか。

 

根底にあるものは、愛情や強さと呼ばれるものでしょう。あらゆる人間関係と同じように。

 

そうして優しい関係を築けども、それ自体が当然のものへと変わり、努力をしなくなるや「意外と嫌なところもある」そんな声に変わります。日頃、学校に来ない不良がふと教室で見せる優しさに、「ああ、あの人も見かけによらず良いところがある」と声が挙がるシーンとは対極に。

 

優しい人には「その優しさを手放しても、あなたには充分に存在価値がある」と願わないでもありませんが、優しい人と、優しくない人を見分ける定義を持ち合わせません。

 

優しい人は、時にこう呼ばれるようです。

 

それは、優しさではなく弱さである。他人の顔色を常に伺い、自己主張に乏しく、結果利用されても仕方のないことだ。

 

でも、僕は思います。やっぱりそれは、弱さではなく優しさと呼ぶものではないか。

 

損なことばかりかもしれないし、結果として利用されることばかりかもしれない。それでも、その裏に秘めたものは弱さではなく、むしろ強さなのではないか。

 

それは決して、不得手なコミュニケーションを優しさでカバーしているという一面的な見方に限らない。

 

そう、思うのです。

  

Written by :古越 幸太 (記事一覧

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